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理由なんてなくても良い

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なぜポルトガルだったのか。 聞かれる度に、最もらしい答えを言っていたけれど、 どうもしっくりこなくて。 やっと、正解?が分かった。 理由なんてなかった。 何となく、 ポルトガルだった。 行ったこともなかったし。 行くって決めてから下見がてら旅行で行ったけど。 知り合いがいたわけでもなく。 ただ、何となく。 昔、バックパッカーをやっていたころ、 よく、”呼ばれる” という表現を使ってた。 次はどこに旅行しようかな~って考えてると、 呼ばれるのだ。 正確には、なぜか、ある一つの国や地域の情報が入ってくるようになって、 で、次はここだな~って何となく分かる。 決めるっていうより、分かる。って感覚。 ポルトガルもそんな感じだった。 新しいことを始めるのに、理由とか目標がなくても良いんじゃないかと思う。 なぜって聞かれて、最もらしいことを答えられなくても良いと思う。 何となく、っていう感覚は言葉には出来ないけど、確かにある。 それで良い。 いや、私はそれが良い♡ 理解されなくても、自分の感覚を大事にしよう。 恥ずかしがらずに、何となくって答えよう。 ポルトガルの公園には、放し飼い(野生?)のクジャクがいたりするw

新しい物事にふれること

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子供のように、"見るもの全てが新しい" というような状況は、 それはそれは楽しいだろうなと思う。 歳を重ねると、経験則の中で動いていることの方が居心地が良くなって、 新しいものを見ることから遠ざかりやすい。 というか、すでに知っていると思い込んで、新しいとも感じないのかもしれない。 それはある意味、成長であって、人間社会で生きる上では必要なことなのかもしれない。 子供のように、常に全力投球で、常に感情むき出しにしてたら疲れちゃうからね(笑) それでも、 新しい何かに触れたとき、 知っていると思っていたものが、本当の意味で理解できたとき、 子供のときと同じように、ぶわっと感情が出てくる。 前回のブログで、ヨガを伝えたいと書きました。 そう言いながら、何かスッキリしない気持ちがあった。 今日、私の師であり大切な友人である方と話をしていて、 私にとってヨガはあくまでツールなのだということが分かった。 ヨガは目的ではなくて、私が伝えたいことを伝えるためのツール。 その方に言われたのではなくて、 今まで、そう思っていたわけでもなくて、 (心のずーと奥では分かっていたのだろうけど、意識的には分かっていなくて) ただ、色々と話している中で、私の口から「ヨガはツール」という言葉が出てきた。 自分で言ったのに、言ってからハッとした(笑) 何かスッキリしなかったものが晴れた感じ。 自分でも気が付いていなかった気持ちと出会えた瞬間 。 嬉しい瞬間だった。 ヨガは、自分と対話して新しい自分を見つけるツールだと思う。 すでに知っていると思っている自分の体の知らない部分が見えてくる。 ヨガに限らず、 セルフマッサージをしてみたり、 何かを食べたときの体の感覚、 誰かに会ったときの体の感覚、 どこかに行ったときの体の感覚、 普段の生活でも、気づいていなかった自分を知ることは出来る 。 何か新しいものを見たとき、感情が動く。 子供のように感情をむき出しにするかは別として(笑) 様々な感情を感じることが出来るということは、心が豊かな証拠かなと思う。 普段と違う環境に身を置いてみたり、 新しいことに...